イロハニトイロ

vol.16 “病気”は正義の味方?

イロハニトイロを辞めていく方がいらっしゃるのは、とても悲しいことです。
昨年度も数名の方が退所されました。

もちろん自分の希望ややりたい仕事に向かって、イロハを辞めていくことは、この上ない喜びであり、僕たちが一番望んでいる事です!


しかし、イロハにいることがしんどくなった、苦しくなった、と何も思いを語られないまま、対話もしないままに辞めていかれる方を見ると、やっぱり悲しくなってしまうのが事実です。

そっかぁ、苦しかったんですねぇ。

ここもあなたに役立つ場所にならなかったんですねぇ。

イロハって厳しいところですよね。ごめんなさい。


そんな思いになってしまいます。


でも、一方でこんなイロハを必要としてくれている方がいる。

イロハで人生を変えていっている方がいる。

こんなイロハだから来続けてくれる人がいる。

そう思うと、このイロハの信念を曲げずに進んでいきたいと思うのも事実です。
だから「ごめんなさい。今までありがとうございました。」ということしか言えないんです。



イロハで大事にしていること。

それは利用者さんを“病気の人”として扱わない事です!

病気を治そうとしない事です!

その人を助け上げようとしない事です!


あれ?
本来なら逆だと思いませんか?


利用者さんの病気をしっかりと理解して、その病気に応じた適切な関わりを考えたり、

病気を治して健康を取り戻させようと関わりを深めたり、

困っている様子をこちらが察知して、助けてあげる。

もちろん就労支援事業所のわけですから、仕事の訓練をさせる。

そんなのが正しい支援だと思いませんか?



イロハニトイロは違います!


ここには、病気(心の病)に対する根本的な考えの違いがあります。

それは、「病気」を

取り除くべき“悪”と見ているのか

あるいは

その人に必要な“正義(善)”と見ているか

です。


もちろん、イロハでは後者です!

どうしてかって?


だって、きっとその方は、病気になるまでにいっぱい頑張って、頑張って、頑張って、頑張って、
考えて、考えて、考えて、考えて、
もがいて、もがいて、もがいて、もがいて、

みんなに愛される自分になろう、必要とされる自分になろう、たくさん成功できる自分になろう、

としてきたはずです。

なのに上手くいかなかった。
思い通りに行かず、どうしようもなくなってきた、

それでも、社会に求められる「こうあるべき」「こうしなければならない」を背負って、まだもがき続けた。

このままだと壊れてしまう。


それを助けに来たのが病気さんだと思っています。

病気があることで、学校や仕事に行かなくていい、目の前の事が出来ない理由がしっかりできて、人と関わることも避けられて、上手くいかない理由だってちゃんと持てるわけです。


今、病気で苦しんでいる方が、この文章を読めば憤慨するかもしれません。

「お前にこの苦しさが分かるのか!」
「簡単に言うな!」
「病気を望んでいる奴がどこの世界にいる!」って。

そういう方は、
まだきっとご自身でも病気を自分を苦しめる“悪”として敵対視しているからかもしれません。



でも一方で、納得する方もいらっしゃるのではないでしょうか?


僕も、ある日から夜眠れなくなり、頭痛で毎日毎日苦しんでいた頃は、
仕事を休めたり、家族から大事にされたりしたし、
仕事が上手くいかない理由を全て病気のせいにできていたと思います。

病気さんが、しっかり僕を守ってくれていたんです。
(もちろんその時は、守ってくれているなんて思えていません。「早く治ってくれ!」とただ願うだけです)

そして、
この病気さんのお陰で、僕は新しい生き方に気付けたんです。

病気を必要としない生き方に。

そうすると病気さんは、役目を果たしたとばかりに、スッといなくなってくれました。


きっと病気さんが
「おい!間違ってるぞ!もっと違うお前らしい楽くて幸せな生き方があるぞ!そっちに行かないかい?!」
と教えてくれたんだと思っています。



だから、病気は「その人を助けている大事なもの」

つまり

“正義の味方”

だと僕たちは考えています。


それじゃあ、その人を助けている“正義の味方”を

支援者が倒そうとするのはおかしな話でしょう?

仮面ライダーで言うならば、「支援者」が悪の組織「ショッカー軍団」になってしまいます(笑)


だから、イロハニトイロでは病気を治そうとはしません。

正義の味方がちゃんとその人を守ってくれているわけですから、その状態から助け出そうなんてことはしません。

仮面ライダーから救い出すなんておかしいですものね(笑)

救い出す、助け上げる、ではなくて
正義の味方がいなくても大丈夫な生き方が出来るようになる、
そんな考え方や力を付けることが大切だと考えています。


それじゃあ、イロハニトイロは何をしているのか?

“正義の味方”に助けてもらわなくてもいい、“環境”“関係”を築いているんです。

僕らはそういう意識でいます。


つまり、「病気だから〇〇できない」とか、病気を持ち出して出来ない理由をつけることなく、ありのままの自分でもきちんと認められているんだ、価値があるんだと感じられる経験をしてもらうことです。

「うつだから、何もできない」ではなく、
「今しんどいから休む(でも元気が出たら頑張る)」 でいいんです。

「私は病気だから傷つきやすい」ではなく
「今、とても傷ついた(でも私の価値は変わらない)」 でいいんです。

「私は病気で辛いのにそれを分かってくれないあの人が嫌いだ」ではなく、
「私は、あの人が嫌い(ただあの人の事を知らないだけ)」 でいいんです。

「病気のせいで、人づきあいが苦手」ではなく
「私はとてもあの人に不満がある(だから話し合いたい)」 でいいんです。


それが、

頑張らない、弱さを出す、失敗する、間違う、迷惑をかけあう、自由に生きる、

“自分を許し認める”

というイロハの考えに繋がっているんです。


でもこれって、とっても厳しいことだということにお気付きですか?

だって、それが出来ないから、これまでもがき苦しんで、病気を必要としたわけです。

一番恐れていることを、してみようねって言われているんですよ。

これってとっても苦しいことだと思います。


そして、最初の話に戻ります。

イロハは一見自由で、ラクで、安心できるところだと思ったら、

実は助け上げてもくれないし、あれしろ、これしろと指示もくれない。
生きる責任だって代わりに背負ってくれない。

自分が選択することを求められる。

病気を理由に持ち出しても、何かしてくれるわけでもない。


こんな環境の中で、自分の新しい生き方を模索していくのがイロハニトイロという場所です。

本当の自分に向き合うことがしんどくなった方が、
怒りや病気を持ち出して、他者と対話をすることを避けます。

そういう方達がイロハを去っていくんだと思っています。


でも誤解が無いようにしてください!

その方々にとってはそれでいいんだと思います!

だってその人が選択した自分の人生なんですから!

まだまだ“今は”自分を許すことができなかっただけです。

「主体的に自分の人生を生きて欲しい」と願っておいて、それを否定するなんておかしな話ですもの。

だから頭ではしっかりその選択を認め、尊重したいと思っています。

でもやっぱり悲しくなってしまう。


これはもう、僕個人の問題なんでしょうね。

しっかりとこういった悲しさを受け止めながら、

「多様性を認め合える安心できる環境」
「病気を持ち出さなくても、ありのままの自分で付き合える人間関係」


をこれからも作って行けることを目指して、毎日を大切にイロハニトイロを運営していければと思います。